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2002年04月07日 連載企画 ジャパニーズロックバンド史について2

その2 アフターBOφWY

BOφWY解散後、「アフターBOφWY」の名の下に次なるBOφWYを各メディアとも探し始める。
その先鋒といわれたのがBOφWYと同郷群馬から現れた
BUCK-TICKである。
インディーズで爆発的なセールスを記録したとの触れ込みでデビューし、CMタイアップとなった「JUST ONE MORE KISS」のオリコン初登場6位というヒットで一躍シーンに躍り出る。直後の1989年にギター今井寿のドラッグ使用による逮捕で活動を一時休止し、シーンから一時遠ざかるが現在も活動中。

BOφWYとほぼ同時期に活動していたUP-BEAT・PERSONZ・レッド・ウォーリアーズらにも脚光があたった。

UP-BEATは「KISS IN THE MOONLIGHT」「NO SIDE ACTION」、PERSONZは「DEAR FRIENDS」のヒットを出し成功を収める。UP-BEATは1990年にギターの東川真二、ベースの水江慎一郎が脱退し、1995年4月に解散する。PERSONZは1992年にバンドの要であったギタリストの本田毅が脱退するが、ゲストギタリストに布袋寅泰を招くなどし現在も活動している。

異端だったのがレッド・ウォーリアーズであった。BOφWY含めた前述バンドの「ビートロック系」とは一線を引き、エアロスミスのようなアメリカンブルースを基本とした曲調、「バッドボーイズ系ルックス」でアピールした。アルバム「KING'S」はそのスタイルが熟成されている傑作である。
アルバム「KING'S」の次に出されたアルバム「SWINGIN' DAZE」ではサポートキーボードとして三国義貴氏を招き、一転してブリティッシュ・ロックを基調にしたアルバムである。このアルバム後1989年に、解散を発表するが1997年に一時的に再結成し、2000年に正式に活動再開し現在に至る。
同レーベルからのちにデビューするブリティッシュ・ロックを基調にしたバンドTHE YELLOW MONKEYもサポートキーボードとして三国義貴氏が参加しているのが興味深い。

BOφWY解散後にも、BOφWYにならえと多くのバンドがデビューした。
吉祥寺から登場し、若いのにもかかわらずあくまでローリングストーンズばりのブルースにこだわり、大矢郁史の深みのあるボーカルが特徴だったのがSHADY DOLLSであった。1991年にギタリストの塚本晃が脱退し、方向性を失いかけるが1996年再生。その後は本来の音楽を取り戻すが2001年に解散する。

女性ロックバンドとしてSHOW-YAと双璧をなしたプリンセス・プリンセス。「DIAMOND」の大ヒットで成功した彼女らはのちのガールズロックバンドに多大な影響を与える。1996年解散。

パンクの影響を濃く受けた「たてノリ系ロック」であったのがブルーハーツとJUN SKY WALKER(S)であった。本場イギリスになぞえると、SEX PISTOLSがブルーハーツ、THE CLASHがJUN SKY WALKER(S)といえようか。ブルーハーツは1995年に解散しボーカルの甲本ヒロトとギターの真島昌利は解散後「ザ・ハイロウズ」というバンドを結成し現在に至る。
JUN SKY WALKER(S)は、1993年に現在ではゆずのプロデューサーとして有名となったベースの寺岡呼人が脱退し、1997年に解散する。

エアロスミスやグラムロックの香りが漂う派手なルックスと森重樹一ののびのあるボーカルが特徴のZIGGYは「GLORIA」がドラマの主題歌に起用され大ヒットとなる。
1990年からの活動休止明けの1992年にギターの松尾宗仁(のち復帰)とドラムの大山正憲が脱退。2000年にはベースの戸城憲夫が脱退し、その際の制約としてバンド名を一時改め「SNAKE HIP SHAKES」として活動を再開し、2002年4月よりZIGGY名義に戻り現在に至る。

今でこそTVにもでてヒットを連発させているエレファントカシマシはデビュー当時はキャッチーな曲はほとんどなくライブでは観客を威嚇していた。

地元群馬でBOφWYと2大バンドと呼ばれていたROGUEも苦節の末デビューを果たし後に武道館公演を行うまでにのぼり詰める。1990年解散。その後奥野敦士は、ソロ・俳優として活躍。西山文明、香川誠、深沢靖明はバンド「KNiFe」結成後、氷室京介のバックバンドに参加。

奥田民生の在籍したUNICORNはデビュー当初はビートロック主体だったが、「バンドは民主主義」というバンドの固定観念を覆し、メンバーそれぞれがやりたい放題に作った「幕の内弁当」的アルバム「服部」が大成功を収める。1993年、ドラムの西川幸一脱退後解散。

下関から登場したKATZEはデビュー当初はBOφWYのスタイルを継承しているように見られたが、ぐんぐん成長していく。「STAY FREE」は隠れた名曲といえる。ライブを行うごとにボーカル中村敦の声量・表現力も増していき、アコースティックな楽曲においてもストレートに聴衆を魅了する技量を身につけていった。1991年解散。その後、中村敦はSHADY DOLLSを同時期に脱退した塚本晃とユニット「HEAVEN」を結成するが、その後長い闘病生活を経て現在、ソロとして活動中。

インディーズから真打として鳴り物入りで登場したのがXである。ドラムのYOSHIKIのドラムに代表されるような破壊的なサウンドはヘビーメタルバンドとしては異例ともいえるほど幅広い支持を受けた。 彼らのビジュアルおよびファンへのアプローチが後の「ビジュアル系ロック」の始まりといえる。 1992年に世界進出を目指しX JAPANに改名。1997年ボーカルのTOSHI脱退により解散する。 そして、1998年にはギターのHIDEが死去する。

TMNのサポートギターをつとめていた松本孝弘と稲葉浩志で結成されたユニットがB'zである。当初はTMNから派生した一派という見方もされていたが、のちにロック色を強めていく。現在も一線級で活躍。

それ以外にも、アンジー、ザ・プライベーツ、筋肉少女帯レピッシュらがデビューしロックバンド勢はますます活気を帯びてくる。しかもこの時期のバンドはのちのバンドブーム期のように即デビューというわけでなく厳選されたバンドのため現在でも活動し続けている実力の持ち主であることを触れておく。
そして、この後に「ホコ天」「イカ天」という1大ブームが訪れるのである。

(その3へ続く)


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