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2000年9月10日(1) そろそろ話そうか(宇多田ヒカルと倉木麻衣・椎名林檎と矢井田瞳)

ほとぼりもさめたことだし、そろそろ「あの話題」についてふれよう。
数ヶ月前にあった「パクリ」騒動。フジテレビ系「HEY! HEY! HEY!」に
宇多田ヒカルが 出演した際のトークで、倉木麻衣が宇多田そっくりで「まるでパクリ」だと、 ダウンタウンにネタにされ、宇多田も「そうそう」と納得していた話のことである。
その後、倉木サイドが抗議し、司会のダウンタウンの事務所との間で話し合いがもたれ 和解したようである。宇多田も自ホームページにて反省の意を表している。
軽はずみな言動は問題だが、実際その発言を見ていた人の多くが「そうそう」と 思ったはずだ。

では、何が似ているのだろう?
それは、両者の販売戦略があまりにも酷似している点である。
「R&B」「クラブシーンから話題に」「アメリカリリース」「ベールに包まれた正体」 といったキーワードが両者共に当てはまる。
そしてなによりターゲットにしている購買層が同じなのだからなおさらのことである。
全く同じ販売戦略をとった似た音楽性のアーティストが後から出てきたら、 大抵の人は「パクリ」と思うのではないか?

昔からあることだが、影響力のある大ヒットスターが現れるとそれに対抗する「ライバル」が 乱立することが多い。松田聖子以降の「ぶりっ子系アイドル」やSPEED以降の「踊れる中学生グループ」などなど。
これは、製作者側の「楽して儲けたい」意識以外のなにものでもない。
なぜなら、宇多田と似た音楽を出し、宇多田の700万枚リスナーの七分の一が振り向けば 100万枚売れてしまうから「これはおいしい」。

爆発的にヒットする人が現れた際に、「それがなぜ受けたか」 「今、何が求められているか」を分析し、「次にこんな新しいものが受け入れられる」 を考えないで、まねている限り「新しい物」は作れない。
現状、製作者側は所詮アーティストが発する「新しいもの」に依存しているに過ぎないのだ。

アーティスト強し。その頻著な例は椎名林檎に見てとれる。
宇多田・倉木の時のように、矢井田瞳というアーティストが椎名林檎に似ている といわれた。しかし、似ているのは「声質」だけであり、音楽性は全く異なる。
それより何より、椎名林檎の卓越した感性はだれにも「パクれない」。
彼女のトリッキーなアイデアは常人には出てくるものではない。
逆にいえば、宇多田ヒカルは誰かが 真似できる「普通の感性」であるということの証でもある。


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2000年9月10日(2) リスナーへむけられた目(中村一義・角松敏生)

中村一義のアルバム「ERA」について、一部で論争がおきている。
それは、「売れ線を意識している」といったものである。
売れ線を意識した作品なのか、ポップな作品なのかはともかく大変素晴らしい作品であることは違いない。
21世紀を意識した全「21」曲。個人的には、エレファントカシマシがレコード会社からの契約を切られ、どん底からはい上がり、今まではライブでリスナーに対してすら攻撃的姿勢を見せていたのから一転して「リスナーに聞いてほしい」 という姿勢をあらわしたあの場面に似ていると感じた。
それまでの中村一義はどちらかというとライブもせず、「判る奴だけ判ればいい」的姿勢があったが、 今作では「みんな是非聞いてくれ」という「自信」に満ち溢れている。売れ線うんぬんではなく、 本人の聞いてほしいという姿勢のあらわれた作品なのだ。

角松敏生は今までと違う作風の新作「存在の証明」で 「過去の遺産で食っていける(過去の作風を継続すれば今までのファンはずっとついてきてくれる)が、その気はない。 この年でもまだ新しいファン層にも聞いてほしいと感じるから新しい作品はそうなった」といっている。

「聞いてほしい」「伝えたい」がアーティスト創作欲の源となる。
「伝えたい」ことがなくなったアーティストは角松の言うように「過去の遺産」で食っていくしかないのだ。


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2000年9月24日(1) オリンピックでわかった「日本」(角松敏生)

シドニー五輪が開幕した。初日から柔道で田村亮子選手・野村忠宏選手が相次いで金メダルを 獲得するなど好調な出だしである。
野村選手の表彰式で国旗が掲揚され「君が代」が流れたシーンは非常に感動的だった。

国歌としての「君が代」にまつわる歴史や論争については僕にはよくわからない。
そういう論争は他のサイトに任せるとして音楽サイトである当サイトでは単に「曲」 としての「君が代」について考える。

卒業式や入学式で流れる「君が代」にはあまり感動を覚えることはないし、 斉唱する人もあまりいない。けれど、オリンピックやワールドカップで輝かしい 成績を上げた後に流れる「君が代」はなぜか非常に感動的だ。

そこには、人々のスポーツを通した「感情」移入があるからであり、
福山雅治の「桜坂」が大ヒットしたのはTBSテレビの「未来日記」のストーリーを 自分に当てはめて聴いていたリスナーが多いことと同じある。

しかし、なぜ「オリンピックの君が代」がこんなに感動的なのか?
それは、オリンピックが「国」を代表したスポーツの戦いだからではないか?
普段は「NO といえない日本」「日本は恥の文化」などと自国を卑下する傾向があり、 自国を誇りに思えない人が多数いるが、実は皆、心の底では誇りに思いたがっているのではないか?
それが、オリンピックなどで表層的にあらわれている。「どうだ日本は」 「これが強い日本だ」と。
そんな表彰式を見ると、「日本もまんざらではないな」と思う。

またまた登場の 角松敏生
(最近物申すアーティストがほかにいないので目立つ)
が、アルバム「LEGACY OF YOU」で以下のように言っている。

『80本近いコンサートツアーで見てきたものは、病める日本でも、飽食の時代でも、 管理文化のつまらなさでもなかった。
急速に角質化する人と文化の感性だった。この国には、世界中のいろいろなものの縮図がある。
だから私は、今、N.Y.にもロンドンにもパリにも行く気がしない。やれアフリカだカリブだと 騒ぐのも単なるおめでたい愚行だと言い切れる。 それよりも日本をディスカバリーしてみればいい。そこには笑っちゃうほど愚かな人々と 笑っちゃうほど素晴らしい人々がいて、遥かな歴史と自然によって作られた人智の及ばぬ数多くの聖域が膨らみきった経済力による艶やかな虚構の影でまどろんでいる…
そんな事を感じたとき、私の欲求不満は消えはしなかったが、一瞬のうちに灰色から桃色に変わった。その時、数多くのメロディーが産声を上げ始めた。』

みんな、もっとこの日本を誇っていいのだ。

P.S. 余談ですが、マラソンの金メダリスト高橋尚子選手はレース直前hitomiの「LOVE2000」を 聴いて(踊って?)リラックスしていたらしい。


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2000年9月24日(2) JASRAC の 無謀な規制について

JASRAC(日本音楽著作権協会) がインターネットでの音楽著作物使用料について、 個人の開設する無料サイトで使用するMIDIなどについて課金する方針を発表した。

まだ、正式決定でないが、仮に決定すると、 個人サイト(=以下 個人開設の非商用サイトのことを指す)でお気に入りアーティストの MIDI音源等を流すだけで年間1万円程度の課金がなされてしまう。
実質上、個人サイトからおなじみの曲が流れることはなくなるだろう。

しかし、数多くある莫大なサイトから無断使用しているサイト (海外サーバーに逃げられたら?)を管理することが今のJASRACにできるだろうか?
(現に、著作権料を支払わないカラオケ店ですら管理できていないのに....)

この話は、4・5年前から問題となっており、JASRACの「宿題」となっていたが、 結局何の有効な解決策も生まれなかった証でもある。

ちなみに音楽著作権とは、
その曲の作詞者、作曲者に属するもので、犯しがたい権利。
その著作権の有効期間は作詞者・作曲者の死後50年。
CD等からのコピーには当然作詞者、作曲者、歌手、演奏者、CDならCDの発売社等の利権が絡む。

となっている。

ということは、僕が自作曲をインターネット上でのみ公表した場合、著作権は守られる。
(これはJASRACに委託しなければ、自分で権利を行使することになる)
その曲そっくりな曲を誰かプロのアーティストがCD発売したら 著作権を行使し、「盗作」として訴えていい。
(その判定を今の裁判所はできるのか?---小林亜星・服部克久氏の例(*注 下記)などから困難)
そんな裁判が多数起きてしまう可能性があるが、もし個人サイト同士の争いだと WEB上の世界だけに、それぞれ自サイトで主観的な意見を展開し、 しまいには相手の中傷へと発展する「泥仕合」となり、最悪悲劇的な結果をもたらす可能性すらある。

そもそも、曲を作ったアーティストでなく、JASRACが目くじらを立てるところに 問題がある。(といってもJASRACはアーティストから委託を受けたわけだが...)
ある種、アーティストは著作権管理をJASRACに委託するのが慣例化しており、 (小難しい法律に縛られず、制作に専念したいためでもある) 各アーティストの勉強不足も問題の一因ではある。

自分のファンのサイトが自分の曲を流せないという問題に直面しているわけだから、 各アーティストの見解が知りたいところだ。

といって、そのアーティストがJASRACへの委託をやめ、 音楽著作物使用料を無料にすると、「盗作してくれ」といっているに等しい。

問題は、アーティストとJASRACの契約内容にあるのではないか?

現在の契約は、著作権の「すべて」をJASRACに信託している。
アーティストが自分のファンのサイトが自分の曲を流せるようにするには 委託したJASRACに対し「個人サイト」の場合は音楽著作物使用料を無料 (使用を容認)とする契約をするなどの方法を取れないものだろうか?
(個人サイトでCDをそのままコピーし、MP3などで公開しているサイトは 明らかに問題なので、規制する必要はあるが)

なにしろ、JASRACが曲を作ったわけではないのだから、 作者の意向が反映されるのが最もあるべき姿だろう。

*注 98/07/30 作曲家の小林亜星さん(65)が「自作の曲をまねされて、精神的苦痛を受けた」などとして、作曲家の服部克久さん(61)を相手取り一億円の慰謝料などを求める訴えを東京地裁に起こした。
訴えによると、服部さんが1993年に発表したフジテレビ系のバラエティー番組「あっぱれさんま大先生」のテーマソング「記念樹」が、小林さんが67年に作曲したブリヂストンのCMソング「どこまでも行こう」に酷似しているとしている。
小林さんは1998年4月、服部さん側に文書で抗議したが、服部さんが「曲の全体的雰囲気などから、同一性はない」と反論したため、著作権使用料など321万円に加え慰謝料を請求したという。
これに対し、服部さんは「オリジナルな曲として作ったもので、メロディーもビートも違うのに、著作権侵害と決め付けられた。近く小林さんを名誉棄損で訴える」とし、問題とされた曲「記念樹」の著作者が服部さんであることの確認を求める反訴を、東京地裁に起こした。 2000年02月18日の判決で東京地裁は「2つの曲は 一部 似ているが、 メロディーも違い 同一性はない。 曲を複製したとは言えない」として小林さん敗訴の判決を言い渡した。

2002年9月追記
2002年09月6日 請求を棄却した東京地裁の1審判決を一部覆し、服部氏に計約939万円の賠償を命じた。服部氏は上告する方針で準備を進めている。


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